Ⅲ◆Light-filled World

 戦争を知らない者は戦争など思いつかない――過去を知らなければ、世界は平和でいられるはずだ。そんな思想のもとで、既に忘れられかけた時代の中にも、今に繋がる小さなエピソードが埋もれている。
 例の大戦が終わり、間もない頃。戦闘の残滓が漂う宇宙を、一隻の宇宙船が、ひとつの星に向かっていた。
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「ああ……」
 呻いたきり、彼は動けなくなる。肉視窓の外には、白と茶色のまだらに濁った惑星。苦渋に満ちた顔で、彼はそれを見つめていた。
(これが、人間の所業とは……)
 あの大気の下で、いったい何億、何兆の生命が消えていったのか。考えただけで気が遠くなりそうだった。膨大な数を想像したためだけでなく、その行為の恐ろしさに押し潰されそうになっていた。
 彼は物理分野を専門とする科学者であり、戦乱の終わった今は、戦争犯罪者とでもいうべき立場にある。旧地球軍で、兵器の開発に携わっていた。そんな彼がこんな所にいる理由――それは、彼の関わった研究がどれほど悲惨な事態を引き起こしたか、きちんと知るべきだという点で、彼と火星の首脳部の意見が一致したためだ。大戦が終わり、勝者である火星へ連行されたときは、彼の意識はまだ高揚した状態だった。周りの状況を正しく認識できていたはずがない。
 あれから数ヶ月。高揚が冷めてみれば、失われたものはあまりに――あまりに、大きすぎた。
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 人類が三つの星に分かれ住むようになったのは、もう一〇〇年以上前の話だ。地球、月、そして火星。何世紀も前から移住の可能性が囁かれていた星々が、予想通りに現実の居住惑星となっていた。そして、もう一方の予想――それぞれの星の地下資源や、人類社会の支配権を巡って必ず大きな戦争が起きるだろう、という破滅予想も、後を追って現実のものとなる。
 発端は、ある小惑星の所有権争いという些細なものだった。それが、偶然も手伝いこじれにこじれて、ついには三星を全面的に巻き込む大戦乱へ発展していったのだ。
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 開戦から数年が経った頃、戦局を大きく揺るがす出来事が起きた。その少し前から戦いぶりが逃げ腰になっていた月であったが、ある日を境に、どこからともなく発生させた力場にすっぽりと身を隠してしまった。月を丸ごと覆う、巨大な力場である。一体どうやって作り出したのか、地球にも火星にもついに分からなかったのだが――ともかく月はこの日から、殻にこもる貝のように、戦争の傍観を決め込んでしまったのである。
 想像を超えた事態に、残る二星は焦った。戦って疲弊した所に総攻撃をかけられてはたまらない――その危惧は両星とも同じだったようで、戦争は無言のうちに一時休戦となり、かわりに月への集中攻撃が始まった。しかし、二星の攻撃をどれだけ浴びても、月を覆う力場は崩れなかった。むしろ刺激を与えすぎてはいけなかったらしい。ある日突然力場の表面が歪み、爆発するようにエネルギーを噴き出したのだ。
 月の居住ステーションは、主に地球側に建設されていたため、二星が攻撃していたのもそちら側ばかりだった。そのため噴き出したエネルギーは、両星の戦艦をきれいに消し飛ばした後、もろに地球に直撃した。地表に大穴をあけ、大気の一部さえ吹き飛ばす大打撃だった。
 この時点で、地球の命運は定まってしまったのだと言える。火星が勝機とばかりに攻撃の矛先を地球に向け変え、一時休戦は一方的に解かれた。拠点を失い、人口の八割までも失った地球に、勝ち目のあるはずがなかった。
 それでもなお、地球は執拗に抵抗を続けた。生き残りの大部分は、上空や宇宙空間に散らばる軍の施設であり、戦う手段だけは充分にあったのだ。地球も火星も、あまりに手応えのない月への攻撃で、いい加減鬱憤が溜まっていたことと、あとは相手が――互いに互いの言いなりになるのが気に食わない一心で、破壊兵器を次々に持ち出し、戦争はずるずると続いた。何のための戦いかなど、とっくに分からなくなっていたというのに――分からないからこそ、無心に戦い続けたのかもしれないが。
 地球の踏ん張りには目を見張るものがあったというが、それでも後援がないのは補いようがない。一度劣勢になればあとは早く、母星に追い込まれた地球軍は、あらゆる攻撃を容赦なく浴びせられていった。しかし、彼らが火星の手で殲滅されることはなかった。むしろそうなっていれば、大戦の終末はもう少し、ましなものになっていたかもしれないが――
 原因は軍事コンピュータの誤作動。地球軍は最後には、自らの持つ兵器を総動員し、ほぼ完全に自爆する形になってしまったのだ。
 そして、地球に静寂が訪れた。
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 肉視窓の外、夜の側の地球を照らすのは、煌々と輝く月である。月を覆う力場は滑らかで、どういう理屈か光をよく反射するらしい。折しも今は満月。鏡を使って光を跳ね返しているのと同じで、あたかも月がそのまま、もうひとつの太陽になったかのようだ。
 第二の太陽の出現により、地球の気温は恐ろしいほどまで上がっていくだろう。それに加えてこの濁った大気、完膚なきまでに破壊された環境。地球は死の星になるのだ――ただ無人だという意味だけでなく、二度とそこに生き物が住めないという意味での、そして自身も滅びていくしかないという意味での、死の星。
 胸をえぐられるようだった。考えれば考えるほど、辛く痛む。しかし彼は、変わり果てた地球を見つめ続けていた。考える時間も、辛いと思う余裕すら与えられずに死んでいったものたちが、ここにいるのだ。目をそらすのは、数え切れない犠牲に対する冒?だと、そう思った。
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 大気圏に入り、地表に到達する。宇宙船から降りる前に、同行の兵士がしつこいほどに念を押してきた。
「いいか、時間は必ず守れよ。何度も言うが、得体の知れない化学砲やら何やらで、ここの空気はひどいことになってるんだ。その安い防護服じゃ、何が起きるか分からないからな」
 分かっている――声にはしないが、彼は心の中でそう答えていた。よく分かっている。化学砲の得体も、たたき上げであろうこの兵士よりは、よほどよく知っている。彼自身が開発していた兵器の中にも、きっと似たようなものがあったはずだから。それらは月に向けられ、火星に向けられ――同じ人間を、同じ太陽系の星を傷つけ、破壊して――最後には彼ら自身に向けられた。
 報い。しかしそれは地球を巻き添えにして――
(なぜあんなものを作ったのだろう……)
 新たな後悔が胸の内にわきおこるのを感じながら、彼は地表に降り立った。
 その途端、あふれかえる光が彼の目を射抜いた。太陽と見紛うほどにきらめく月の下、霞んだ空もえぐれた大地も、遠くおぼろな廃墟の建造物も、立ち枯れた木々も……何もかもが、細かな光の粒をまとって輝いているのだ。
 呆然とした。美しい、と思った――人間の手に何百年も蹂躙され続けてきたのに、この星は何故こんなにも美しいのだろう、と。神々しいほどに――悲しいほどに。
 容赦なく地上に降りそそぐ死の光が、この時の彼には確かに命の輝きに見えていた。死の星だなどとんでもない。そんなことを考え、一人で諦めようとしていた自分に羞恥すら覚える。この星は死んではいない。ぼろぼろに破壊され、人に見放されてなお、望みを捨てずに生き続けようとしている――そう見えたのだ。
 それならば、と思う。自分がその手助けをしよう。撒き散らしてきた毒素を除き、えぐられた地面をならし、生き物を育て、この星に本当の生の輝きを甦らせよう。身体中で感じる命の鼓動を。
 新兵器の研究に憑かれ、破壊の先頭に立ってきた科学者が、今さら何を言うのだとなじられるだろうか。たとえ直接手を下したのでなくとも、彼のせいで地球がこうなってしまったのは紛れもない事実――それを今度は甦らせようなどというのは、あまりにおこがましい考えかもしれない。偽善にも気違いにも見えるだろう。
 それでもこの星を救いたい。守り、癒すために、できるだけのことをしたい。甦らせてやりたいと、心の底から思った。幸いなことに、彼にはそれができるだけの能力がある。ならば、何十年、何百年かかってもかまわない――自己満足や身勝手に終わらせはしない。それがこの星と、ここに生きてきたものたちに対する償いとなるのなら。
 ――申し訳ない。
 思いが胸に詰まる。人の何と小さく、何と周りの見えていないことか。そのために、何と多くのものを犠牲にしたことか。
 自責の念も深い深い後悔も、この星は全て受け入れてくれるような気がした。
 誇り高く、光を浴びて。
 世界は、いつのまにかあふれていた涙に滲み、いっそう美しく輝いていた。

  終

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