(1)

 昼下がり。町と町を繋ぐ街道に、楽器の音色が響いている。弓を使う型の弦楽器の音――時に緩やかに、時には跳ねるように、複数の旋律が絶妙に絡まりあって流れていくが、それを奏でている楽器は一本だけだ。複雑な手さばきで楽器を操るのは、癖のある黄色い髪と若草色の瞳、男物の服をまとった少女。石畳に腰を下ろし、穏やかな微笑みを浮かべて曲を紡ぐ。
 その傍らには少女がもう一人。茶色のまっすぐな髪をひとつに束ね、曲に聴き入る風でもなく、足元に二人分の荷物を置いて立っている。集まっている聴衆に、時折目を配りながら。
 そして最後の一音が鳴り止む。余韻が消えるまで少しの間を置いて、二人を取り巻く人々から一斉に拍手が起きた。
 楽器を弾いていた少女は、雰囲気を人懐っこいものに一変させ、聴衆に向かって手を振った。
「どうも~。良かったなーって思ってくださった方、お代はこちらね!」
 少女が指差したのは、もう一人の少女が取り出した革袋だ。何とも直接的な物言いに、聴衆が沸く。
「はいはーい、投げてもいいけどちゃんと狙って下さいよー」
 茶色い髪の少女が革袋を振り回すと、それは見る間に硬貨で埋まっていく。聴衆があらかた散る頃には、革袋は七分目ほどまで一杯になっていた。
「路銀稼ぎ終了、っと。ナチュラル、お疲れ」
 袋の口を閉めながら、茶色い髪の少女は相棒をねぎらった。
「フィスも演奏すればいいのに。楽しいよ?」
 こちらは楽器を拭きながら、弾き手――ナチュラルは誘いをかける。もっともこれは、二人の間でしばしば交わされる決まり文句のようなもの。フィスは肩をすくめ、いつものように答えを返す。
「いいわよ、あたしは。他人に聴かせるような曲は吹き慣れてないから」
 そこへ、おずおずと声をかけてくる者がいた。
「…すいません」
 とっくにいなくなったかと思っていた聴衆が、まだ一人残っていたらしい。ナチュラルより一回り年下程度の――ということはフィスと同年代くらいの、痩せた感じのする少年だった。
「何か?」
「あの、今の曲って…」
 フィスの問いに、少年はしばし視線を地面にさまよわせ、意を決したように顔を上げる。
「…今のって、他の人にも"見えてた"んでしょうか?」
 フィスとナチュラルは顔を見合わせた。
「見えたって何が」
「あの…なんか、岩の洞窟が"見えた"んです」
 フィスのそっけない問い方に負けじと、少年は身を乗り出す。
「海の傍で、岩肌に四つくらい入り口が並んでるんです。ちょうど夕日が差してて、洞窟の中まで赤い光に照らされてました。奥の様子まではわからずに消えちゃったんですけど――」
「何かの勘違いじゃないの?」
「そんなはずないですっ! 何も考えてないのに、いきなり目の前にはっきり出てきたんですから! これは俺の運命の場所だって、見た瞬間にわかりました。あの洞窟で何かが待ってる気がするんです! どこにあるのか教えてください、あなたたちなら知って――」
「あのね、いっぺんに言われてもわからないから。ちょっと待っててくれる?」
 何やら口調が怪しくなってきた少年をおざなりになだめ、フィスは楽器を片付けている途中のナチュラルを、少年から離れたところへ引っ張っていった。小声で問い詰める。
「ナチュラル、一体何弾いたのよ?」
「何って、いつも通りよ、普通の曲に吟誦魔法をちょっと混ぜて…でも、景色を持ってるだけの弱い魔法のはずよ?」
「あたしにもそう聞こえたわよ――だけど本当にそうなら、あの反応は何? めちゃくちゃ"酔って"るじゃない。どこから持ってきた魔法使ったのよ」
 ナチュラルは仰向いて眉を寄せる。
「うーん、いろいろ混ぜてるからなあ…」
「いろいろ…ってあんたねえ、解呪もできない奴が、考えなしに混ぜまくるんじゃないの!」
 思わず説教になったフィスにはかまわず、ナチュラルはしばし考え込み、そしてはたと手を打った。
「わかった、カヴァティーナの旧港に、倉庫が残ってるでしょ? あの中で見た詩譜(しふ)よ」
「また微妙な…でも、あれなら確かに洞窟ね」
 天然の洞窟に手を加えて作られた倉庫。港が閉鎖されて久しい今でも有名だ。
 吟誦魔法を独特な文字で綴った詩譜――詩譜詠みがそれを、常に自分が魔法を聴いた場所に残しているとは限らないが、少年が"見た"という洞窟がその倉庫である可能性は高いだろう。
 幸いカヴァティーナの町なら、ここから近い。
「それじゃ、とりあえず行くだけ行ってみましょ。ほっといたらあいつ、何を叫びだすかわからないわ」
 "見えた"場所へ足を運ぶだけで、思い込みは解けることがある。そうでなくても元凶となった詩譜を見れば、解呪の見当はつく。
 話をまとめ、フィスは少年に向き直った。
「あなた、その"見た"っていう洞窟に行きたいのよね? 案内してあげてもいいわよ」
 その言葉に、少年の顔が明るくなった。
「本当ですか!? ありがとうございます――」
「ただし」
 フィスは念を押す。
「あたしたちに心当たりのある場所はひとつだけで、そこがあなたの見た場所と本当に同じかどうか、保証はできないわ。もし違ってたら、その時はすっぱり諦めてもらうわよ。それでもいい?」
「はい、お願いします!」
 心底嬉しそうな少年に、フィスは内心でやれやれと首を振る。わけのわからない魔法の後始末は厄介だ…
「で、あなた名前は?」
 ついでに聞いておく。
「レガートです。二人は…」
「あ、」
「あたしがフィス、こっちがナチュラル」
 楽器を仕舞い終えたナチュラルが口を開きかけたが、フィスはまとめて片付けてしまった。相棒が不満そうにしているのがわかったが、とりあえず無視しておいた。

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