大樹が戻ってきたのは、十時を回ってからだった。その後しばらく、父が風呂場を使う音がしていて、やがて静かになった。
 大樹は「一緒にプレゼント置きに行く」と意気込んでいたのだが、十一時になる頃には、早々と睡魔に負けて眠ってしまっていた。布団に転がってしまったのが悪かったようだ。私も宿題をやっていたら眠ってしまいそうだったので、代わりにマンガを机の上に積み上げた。
 時計の針はゆっくり回る。十一時十分……二十分……マンガのページをめくるペースが、次第に遅くなっていく。目を開けているのが辛くなってくる……しかし、父を見返してやるんだから寝るな、と、私は自分に言い聞かせていた。
 やがて日付が変わった。クリスマスの日、二十五日。特に何の感慨もない。
 クリスマスなんて、心から楽しみにしていたのはいつまでだろう? サンタのプレゼントが待ち遠しいのは今も同じだけれど、それ以外については――多分小学二年か三年、私が家事をいろいろやるようになってから、父がだんだん嫌いになり、クリスマスも楽しみではなくなっていった。幼稚園までは、祖母が元気だったから寂しくなかったし、それでなくても父がごちそうを買ってきてくれるのが嬉しかった。でも、ごちそうを自分で買ってきたり、作ったりできることが分かってしまったら、父のお土産にもありがたみは無くなった。
(なに一人で冷め切ってるんだろ、私……)
 後ろから大樹の寝息が聞こえるが、あえて振り返らない。平和そうな寝顔を見てしまったら、余計に滅入ってしまいそうだった。
(……大樹がうらやましいよ)
 何も考えずに父になついたり、深く悩まず普通に眠ってしまえる子供っぽさが、何だか無性に羨ましい。
 ――私はもう、無邪気な子供には戻れない……。
 ぼんやり考えながら、読んでもいないマンガをパラパラやっているうちに、時計は一時になっていた。
 普段の父の就寝時刻がいつ頃なのか、私はよく知らない。それでもこの時間なら、きっともう寝ているだろうと考えた。何より、あまり待ちすぎていては、私の所にサンタが来なくなってしまう。私は部屋を抜け出した。
 家の中は静まり返っていた。玄関に面した廊下に出て、トイレと風呂場の前を通り、ダイニングキッチンの扉を開ける。このダイニングの向こう、間取りの一番奥が父の部屋だ。
 父の部屋は洋間だが、入口の戸は引き戸だ。その引き手を手探りし、音を立てないようにゆっくりと滑らせていく。
 部屋の中は暗かった――夜だし当然ではあるけれど。でも、父は私の予想以上に夜更かしをしていたようで、室内にはストーブのぬくもりがたっぷり残っていた。それと一緒に、父の匂いも。思わず腹立たしさが戻ってきそうになるのを飲み込み、私は息をひそめて室内に忍び込んだ。
 父の布団は、入口から見て右側、頭はこちら側に向いている。その枕元に膝をつき、そろそろとプレゼントを置いた。
(よし、大丈夫……)
 心の中で一息つき、視線をプレゼントから横へ動かす。私が来ているのにも気付かず、父はよく眠っているようだった。壁の方を向いて首まで布団をかぶり、いびきをかくこともなく静かに寝息を立てている姿は、起きている時の頼りない姿と少しも変わらない。
 少し眺めてから、立ち上がって出て行こうとした時、視界の隅で何かが光った。
 思わず振り返った先には、父の机と、カーテンの閉まった窓があった。もっともカーテンは完全に閉まり切ってはいなくて、少し隙間ができている所から、月明かりが部屋に入ってきている。その光に照らされて、机の上にある物が光って見えたのだ、と、そこまでは納得した。
 しかし、その光った物の正体が問題だった。机の上には、両手におさまる程度の包みがふたつ――片方は緑、もう一方は赤で、両方ともにヒイラギと小さなベルの飾りがついていて。
 光って見えたのは、トナカイの首に似合いそうな、そのベル。
(クリスマス……プレゼント?)
 それ以外の何に見えるだろう。しかも二つあるということは、誰宛のものか――
(私と、大樹……?)
 だとしたら、もしかして、もしかすると――今までのプレゼントも全て父が?
(でも、どうやって?)
 凍り付いてしまった私は、次の瞬間父が身動きする音を聞き、心臓を跳ね上がらせた。
(まずい! 起こしちゃう)
 とにかく子供部屋に戻ろう。混乱する頭で、足音にだけ気を配り、逃げるように父の部屋を出る。多分起こさなかったと思う、けれど、自信はなかった。
 子供部屋に戻った私は、頭まで布団にもぐりこんだ。しかし、とても寝つける状態ではなかった。頭の中を、いろいろな葛藤がぐるぐる回って――父にひどいことを言った様々な記憶が、嬉しいような信じられないような気持ちが、しかし普段の父の頼りなさが、明日どんな顔をして起きれば良いのかという恐怖めいた思いが、全部ごちゃ混ぜに溢れ返って――しかし、それも徐々に勢いを失い、
 私はいつの間にか眠りに落ちていた。

 次の日の朝。寝ついた時には一時半を回っていたはずなのに、なぜか六時半過ぎに目が覚めてしまった。いつも通りの起床時間。身についた習慣っていうのはちょっとやそっとじゃ変わらないものなんだな、と呆れ半分に思い、次の瞬間目覚まし時計の横に、赤い包装紙の包みを見つけてどきりとする。それは間違いなく、昨夜父の部屋で見たものだった。
 ヒイラギとベルが、"Merry X'mas"と書かれた金色のシールで留めてあった。もそもそと布団の中で腹ばいになって、包みをしばらく眺めてから、おそるおそる手元に引き寄せる。緊張しながら裏を返し、テープを剥がして中を開いた。
 ピンクと茶色の手袋と、ピンクのマニキュアが出てきた。
「……って、手袋はともかく……何、これ……」
 あまりにも女の子らしいプレゼントとあの父とがどうしても結びつかず、私はしばらく笑いが止まらなかった。そういえば、私はアクセサリーの類をほとんど持っていない。買い物、洗濯、それから宿題、と毎日何かに追われていた気がする。そう思ったら、笑いと一緒に涙まで出てきそうになって、慌てて押さえ込んだ。

*  *  *
 クリスマスプレゼントの贈り主は、昔からずっと父だったそうだ。今年私たちがやったように、私たちが寝入った所を見計らって、枕元にプレゼントを置いてくれていた。出張などでクリスマスの日に家を空ける場合は、アパートの大家さんに頼んで、プレゼントを届けてもらっていたという。
 こうして私たちのサンタクロースはいなくなったけれど、代わりに手に入ったものがある。多分それは、父への信頼だとか、家族愛だとか……言葉にするのはちょっと照れくさい感じの気持ち。
 年が明けて冬休みも終わり、三学期の授業に通い始めた私は、登下校時にいつも、あの手袋をはめている。マニキュアの方は、先生に怒られるからつけられないけれど――春休みになったら、今度はお洒落をして、おばあちゃんの所へ遊びに行こう。大樹と、お休みが取れるようならお父さんも、一緒に。

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