(1)


 青年は、雨の中を歩いていた。
 粒の細かい、まるで霧のように舞い降りてくる雨。体も服もしっとりと湿気を含んで、少しだけ重たくなっていた。包み込むように降る雨には、不思議と冷たさはない。むしろその中に溶けてしまいそうな、ほんのりとした温かみを感じていた。
 歩いているのは、どこかの町の路地だった。白い土を固めた道を挟むのは、煉瓦造りの家の壁、どの窓もぴたりと閉ざされて、人の気配を漏らさない。雨の日特有の仄明るい空の下、影も落とさず佇んでいる手押し車や花の鉢が、非現実的な思いをつのらせる。時の止まった町、動いているのは雨と自分だけ――そんな静かな感慨。
 人影こそないが、だからといって、決して悪い印象はない。むしろ、晴れの日にどんな顔をしているのか見てみたい、そう思えた。
(しばらくこの町にいようかな…)
 長い間旅をしているが、そんな気分になったのは、随分久しぶりのような気がした。
 路地の先に宿屋の看板を見つけ、青年はそこへ入っていった。


 雨の翌日は晴れて、あたたかな空気が町を包む。その中を、男は人々の顔を見ながら歩いていた。男の腰には太いベルトが巻かれ、鞘に納まった短剣が差し込まれている。それは自警団員である印だった。
 もっとも、短剣を確かめなくても顔さえ見れば、自警団だとすぐに分かる。四十代後半から六十過ぎ程度までの、壮年の男たち――といえば、この町には自警団しかいないからだ。
 多くの人が出歩いているだけに、晴れの日は気を配るべき所も増えるけれど、雨の日の巡回と比べればやはり、気分は明るく、軽い。
 今日も町は平和だ。


 同じ頃、町に来たばかりの青年も、町の様子を見て歩いていた。もっともこちらは興味本位だ。
(…何だろな、これは)
 良い雰囲気の町だと思った、その印象は変わらないが、不思議な部分もきちんとあるものだ。そのひとつが、道のあちこちに立っている彫像で、目の楽しみというには少々数が多すぎる気がする。
(彫刻家でも住んでるのか?)
 その人物が、作品を作っては、自分の町に並べているのだろうか。そして住民も、わが町にこんな作家がいるのだと、作品を誇らしげに自慢する。それはそれで、心あたたまる光景だとは思う。
(…市が立ってる)
 路地の先、町の中心らしき広場が賑わしいのを見つけ、ぶらぶらと眺めて回る。買い物をするでもない青年に、旅の人かい、と気さくに声をかけてくる、売り子や客の笑顔が印象的だった。
 店の途切れた空き地では、子供たちが駆け回って遊んでいる。広場の中央へ足を向けると、葉を茂らせた木が一本そびえて、また別の子供たちが木登りを楽しんでいる。そしてその木の根元には、これまた彫像が二体、ひっそりと立っているのだった。
(子供の像…ちび坊主と姉貴、ってとこかね)
 考えながら彫像に近付き、木の上の子供たちを見上げる。
「よくできてるなあ、これ。誰か作ってる人がいるのかい?」
 訊くと子供たちは顔を見合わせた。
「しらない」
「でも自警のおじちゃんたちが手入れしてるよね」
「うん」
「えー、見たことないよ?」
 ひとしきり騒ぎ、そして青年を見下ろす。
「なんでそんなこときくの、おじちゃん?」
「あー、ちょっと気になっただけ。わかんないならいいよ、ありがとな」
 彫刻家が住んでいるわけではないのだろうか。とりあえず子供たちにとって、彫像は改めて意識するほどでもない、風景のようなものらしい…と、彼は理解した。

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