(4)


 そもそもこの町は、大都市同士をつなぐ大きな街道の近くにあり、商人や旅人で賑わう宿場町だった。しかし、その後戦乱が起き、混乱の中で街道は封鎖され、のちには離れた場所に新しい街道が作られた。町は賑わいから切り離され、活気を失っていった。
 人の行き来がなければ、町は貧しかった。町の周囲に広がる畑で、多少の作物はとれたが、それも自分たちが食べていくのにやっとの量。冬になればその作物も育たないため、男たちはこぞって都市へ出稼ぎに行った。冬の間は都市で働き、春になると町へ戻ってくる。
 出来事があったのは、そんな暮らしが何年も続いたある年のこと。もう、だいぶ過去の話となったが、忘れもしない。出稼ぎの者たちが帰ってきたとき、町中に流感が広がっていたのだ。
 その時で既に、町に残っていた者の三人に二人は亡くなっていただろう。体に斑点が出たり、物を吐いたりといったことは全くなく、ただ熱に浮かされて死んでいく。全員を医者に見せることなどとてもできず、男たちは、まだ生きている人々を必死に看病した。しかしそれも甲斐なく、二十日も後には一人も生き残っていなかった。出稼ぎの男たちの中からは、なぜか一人の発病者も出なかった――奇妙な病だった。
 男たちは、皆抜け殻のようになった。全ての人の埋葬を終えても、気力など戻りはしなかった。日々の仕事をしようにも、畑を耕そうにも、体が動かない。働いて養う相手がいない虚しさが、彼らの心を重くしていた。出来事の続きが始まったのは、その後しばらくが経ってからだった。
 死者の声を聞く者が現れた。町に明るい声を響かせていた子供たち、男手のない間町を守っていた女たちが、男たちを呼んでいた。もう一度一緒に暮らしたい、寂しい、と。
 満たされぬ者たちを救いたいという皆の思いがあった。依代にと作り上げられた木彫りの像に、死者の魂は次々に降りてきた。驚いたことに、降りてくるのは町に住んでいた者に限らなかった。男たちの知らないような、ずっと遠くの街からも、雨を伝ってやってくるのだ――安らぎと救いを求めて。
 それに応えるために、男たちは彫像を作り続けた。自警団を組み、巡回も始めた。生き切れなかった生を、満たされなかった心を、彼らが少しでも取り戻してから天へ昇ってくれるように――たとえ作り物の体であっても。
 守るものがあり、やるべきことがある。いつか男たちにも、生きる気力が戻ってきていた。


「そして今に至る、というわけさ。…信じ難い話だろう?」
 締めくくりの声は、どこか自嘲含みになった。不思議だとは思いますが、と青年は神妙な顔で押し黙り、そして一つうなずいて口の端を上げる。
「でも、本当なんだろうなって気がします。この町も実際にあることですしね。雨が駄目っていうのには、ちょっと参りましたけど」
「それは…」
「それでもね、いい町だと思いますよ。ガキが幸せそうだ」
 彼が複雑な顔をするのにかまわず、青年は笑いかけてきた。
「そういう町は、上手くいくらしいですよ。実際俺が見てきた町もそうだったし。大事に守ってってください」
「…言われなくても」
「そりゃ頼もしいや。…失礼、坊主に説教しちまったかな?」
 青年は頭を掻き、話を変える。
「さてと。正式に召されるには、どうすればいいんですかね」
「そのまま雨に打たれてくれればいい。心残りがなければ、現世の残像が見えることはない。そのかわりに、魂が体から抜けて、天へ昇っていくから」
「へえ。簡単なんですね」
 青年は満足そうに笑い、目を細めて空を見上げた。


「私たちは人間だ…」
 雨の中、一人残った男がぽつりと呟く。
「…人間に、完全な楽園など作れない」
 完全な楽園。死者の魂が昇ってゆく神の園は、おそらくそういう所なのだろう。しかし、人間的なぬくもりはそこにあるのだろうか――と、彼らは考える。たとえば手を握る、たとえば抱きしめる、そうやって相手に触れることで伝わる愛情や幸福感、安心感といったものが、神の園には果たして存在し得るのだろうか。
 体を失った魂に与えられるのは、あくまで魂としての安息、平穏――何者にも妨げられない安らかな眠り。満足のいく人生を生き切った者に対してなら、それで良いだろう。しかし、足らぬものを残したままの者であったら。鎮められても、満たされることなく冷えてゆくだけではないかと思うのだ。
 この町は、それを補うことができる――そうであると信じていたい。

 煉瓦の町に雨が降る。粒の細かい雨は空気をけぶらせ、家々の屋根を、白土の道を、もの言わぬ彫像たちを、おだやかに濡らしてゆく。人通りの絶えた路地、時折見える雨合羽の影。そんな景色の中で、今日もまた、新しいかりそめの命が生まれ、消えてゆく。

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