(2)


 同じ日の夕刻、私は再び市を訪ねた。商品を売り尽くした店は片付けられていくので、午前に比べて人影はまばらだ。
 朝と同じ場所に、あの少年が座っていた。
「あれ、また来たの?」
 彼は私を目ざとく見つけて声を掛けてくる。
「ああ、君がどうしているか気になってな。…なかなか売れないな」
 あれからさほど買い手は付かなかったようで、布の上の商品は、まだ四つ残っていた。少年は肩をすくめて苦笑する。
「まーね。ちょっと客引き失敗したかな」
「今夜の宿は? そろそろ暗くなるが」
「その辺で適当に寝るから平気。庇があれば雨はしのげるよ」
「そうだが、屋根がある方が休まるだろう?」
 この町の雨は、普通の雨ではない――少なくとも、彼ら死者にとっては。心が満たされる前に触れれば、雨は彼らと生者の世界とを繋げてしまう。
 雨は霧雨に近い。庇だけでは、あまり避ける役には立たない。
「宿を手配してやるから、そこに泊まるといい」
 裏の理由は伏せてそう言うと、少年は目をしばたいた。
「ホントに? おれ、宿なんて入ったこともないんだけど」
「気にするな。商人宿だが、気のいい親父が仕切っている。分からないことがあれば訊くといい」
「へえぇ。ありがとう」
「何、これも仕事の内さ。後で案内しよう。――君は一人でここに?」
「そだよ。これ全部売れるまで帰って来るな、って親方に言われてんの」
「親方…細工師か何かか? 気難しい人なのか」
「ううん、浮民街の親方」
 少年は声をひそめて言った。
「盗みとかさ、憲兵から隠れるのとかさ、いろいろ指揮とっておれたちを守ってくれてんだ」
 憲兵。そう呼ばれる自警がいるのはどこの町だったか――名前は忘れたが、どこか遠くの大きな町。
 少年は、内緒話のように続ける。
「こんなの他人には言わないんだぜ? 本当は。おっちゃんは親切だから教えとく。他の人には絶対黙っててくれよな」
 内心で私は、彼が屈託なく出自を口にすることに驚いていた――ここでは生前の境遇に囚われる必要はないのに。浮民街にいた、という記憶は、彼にとって嫌なものではないのだろうか。それとも、忘れたくないほど、彼がひたむきに生きていたということか。
「ああ、誰にも言わない。約束する」
 真っすぐな話し方をする子だ。返事をしながら、ふと寂しい思いがよぎる。心の真摯さにそぐわない虐げられ方をされる人間が、いつになっても減らないものだ、と。


 三日後、私は昼過ぎに市へ出向いた。あの少年はまた店を出していて、布の上の商品は、残り一つになっていた。
「やあ。元気か」
 私が声を掛けると、少年は「もちろん」と笑った。
「今日は良く売れたな。最後の一つか」
「へへー。見る目のある人ってのは居るもんさ」
 一つ残っているのは、木製の台に金属製の木の実を散りばめた髪飾りだった。これも結構な値打ち物――そして疑いなく盗品なのだろう。
 盗品には元手がかかっていないから、売れさえすれば利益になる。たとえ相場の遥か下を行く安値でも、それなりの金になるなら一向に構わないわけだ。法の問題、良心の問題、いろいろと理屈はあっても、金に困っている者がいる限り、需要は尽きないのだろう。
「よかったら、私に売ってくれないかな?」
 もっとも死者の町では、生者の町における理屈も影が薄い。
「買ってくれんの!? でも残りもんだぜ。いいのか?」
「いいとも。以前の腕輪を娘にやったら、妻が羨んでな。残り物でも分かりはしないさ」
「なーるほど。アツいね、おっちゃん」
 少年は笑いながら、髪飾りを包んでくれる。今回も破格の安値だった。
 これで、この少年の心残りは取り除かれた。二日後に雨が巡ってくれば、彼も天へ還ることができるだろう――私はそう思っていた。

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