(3)


 二日後、町に雨が降る日。私は自警用の雨合羽を纏い、仄明るい路地を歩いていた。
 雨の日には、この町の空気は大きく変わる。新しくやって来る者と、思いが満ちてここを去って行く者が、混在する時間。雨は下界とこの町を繋ぎ、この町と天を繋ぐ。
 雨に触れて生前の記憶をたぐり寄せてしまい、傷つく者も中には居る。彼らをそっと支え、導く役目を続けて、もう随分長い年月が経つ。
 何となく、足が市の広場へ向いた。市の日には商売人と買い物客で、市の立たぬ日は遊び好きの子供たちでにぎわう広場も、雨の日には静かなものだ。中心に立つ大きな木が濡れた枝を垂れ、無人の広場をひっそりと見守っている。
 広場から少し奥へ入ると、商人にも旅人にも良く利用される、大きな宿がある。その建物の窓がない側面、庇が出ていて雨宿りのできる場所に、見覚えのある少年がぽつんと立っていた。
「…どうした? もう帰れるのではなかったのか?」
 私が近寄って訊くと、少年は力なく笑った。
「うん…けど、ちょっとね」
「何か気になることが?」
「うん、ちょっと」
 同じような返事を繰り返し、少年は不安そうに広場の方を窺っている。少しして、恐る恐るといった風にこちらへ向き直った。
「なあ、おっちゃん。おれさ、本当は女の子と一緒に売り子しに来てたんだ。これっくらいのちっこい奴で、男みたいに短い髪してんの」
 彼は自分の鳩尾辺りに手を当ててみせる。
「そいつが、いつの間にか消えちまってさ。どこ探しても居ないんだよ…」
「そうか…それは心配だな。いつから居ないんだ?」
 考えが浅かった、との自責が顔に出ないように気をつけながら、私は少年に問う。
「覚えてない…ほんとにいつの間にか居なかったんだ。困ったな…ここに居れば帰ってくると思ってたのに…
 彼にとっての鍵は、飾りを売ることではなかった。この女の子こそが鍵だったのだ。
「落ちつけ。君が取り乱していたら、その子も安心して帰って来れないだろう?」
「…そうだよな。うん、見つけたらとりあえず頭はたいてやって…んで何か食わせてやらなきゃな」
 少年の口調に、幾分落ち着きが戻ってきた。一安心しながら、私は問いを重ねた。
「どこへ行ったか、心当たりはないか? その子の好きなものを売っている店が出ていて、それを見に行ってしまったとも考えられるし…」
 言いながら、素早く考えを巡らせる。彼が捜している女の子は、この町に来ているだろうか。可能性は高そうだった。気遣わしげな少年の口ぶりから察するに、しっかりしているとは言い難い、誰かの守りが必要な子なのだろう。背丈からしても、小さい子供だ。頼りなくても無理はない。そんな女の子が、少年が死んでしまうような状況で、ひとりだけ生き延びられたとは――酷な話だが――考えにくい。
 少年は、女の子の行先について首をひねっている。
「とりあえず食べ物見ると飛びつこうとするよ。いつも腹空かせてたから…でも、食べ物屋なんて多過ぎて分かんないよね…」
「宿の客に当たってみることはできるが、確かに骨だな。他に気になる場所はないか?」
 問題は、二人が再会できるかどうかだ。少年は、生前と同じ物売りとしてここへ来た。彼が店番をしている所に女の子が帰ってきて、二人連れ立って仲間の元へ帰る、というのが彼の心を満たす条件だったのだ。しかし、女の子の方もそうだとは限らない。
「うーん…あとはおれたちの浮民街くらいしか…」
 たとえば浮民街の仲間ではなく、血のつながったあたたかな家族を求めていたとしたら、彼女はそのような家庭の子供としてここへ来るだろう――生前のことは全て忘れて。そんな状態の女の子と再会しても、彼は納得できないだろう。
(――いや)
 そこまで考えてから思い直す。そもそも女の子は、あたたかな家庭など知らないのではないか。ならば求めるあたたかさは、少年のもとにあるはずだった。
「わかった、とにかく探しに行こう。もしかしたら、どこかで迷っているかもしれない」
 私は自分の合羽を脱ぎ、少年の頭からかぶせてやった。私は良いが、彼にとって雨に触れるのは得策ではない。思い出さずに済む記憶なら、それに越したことはないのだから。

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