(4)


「親方は、ちびすけ一人消えたって気にしないんだ。そんな戦力になるわけでもないし。でも、おれにとっては妹みたいな奴でさ…それなのに、戻ってこないし…おれが帰っちまったら、あいつ本当に迷子になって死んじゃうじゃん?」
「だから、あそこで待っていたんだな」
「うん…」
 ぽつぽつと話しながら、私たちは路地を歩いていた。
 晴れの日には存在感の希薄な彫像たちが、道の隅で霧雨に包まれ、まるで人間のように立っている。今日は幾人の人が、あの"体"に降りてくるのだろう。
 晴れの日は、穏やかな平和。雨の日には傷と癒しと。どれも人の心の一部だ。それゆえにこそ、人にしか埋められないものを求めて、ここに来る者は尽きない。
 だから、私はここに居続けている。たとえ万能にはなれなくても、こうして少しずつ人を救うことができれば、それで良いのだ。
 何度目かに路地を曲がったとき、その先に、小さな人影が立っていた。少年の顔色が変わる。
「おまえ…」
 短い髪も男の子のような服も雨に濡らして、一人の少女が、虚ろな顔でこちらへ歩いて来ていた。
 "降りて"来たばかりの者が、こういう顔をする。どこかの家庭に加わるにせよ、商人や客人として宿へ入るにせよ、おさまるべき所へおさまって初めて、彼らは夢から覚めたように表情を取り戻すのだ。
 しかし、この女の子に限っては、町におさまる必要はなさそうだった。少年を見た瞬間、彼女の顔に、ぱっと表情が灯った――思い切り涙に歪んだのだ。
「兄ちゃん…!」
「こら! 転ぶって」
 つんのめる勢いで走ってきた女の子を、少年は両手で受け止め、そして軽く頭を小突く。
「どこ行ってたんだよ、おまえ? 探すの大変なんだからな」
 女の子は泣きじゃくるばかりである。こわかった、とか兄ちゃん、とか言っているようにも聞こえるが、泣き声に紛れてどうにも不明瞭だ。
「んな泣くなって、おれちゃんとここに居るだろ? 一緒に帰ろ。そんで何か美味い物食おうな…」
 幼い二人を見ながら、私の中に、ある感慨があった。この町で再会できるのは、本当は珍しいことなのだ。
 先に私が想像しかかったように、心の底で求めているものは、人によって違う。それが噛み合わなければ、真の意味での再会は起こらない。同じような思いを持っている者同士を引き合わせ――悪い言い方だが――騙されてもらうしかない。
 だから、当人同士の再会には、何にも代え難い価値があるのだ。
「…会えて良かったな」
 私は温かい思いで声を掛けた。
「うん」
 少年は嬉しそうに笑い、女の子の頭を軽く叩いてから、ふと気がついたように私を見上げた。
「やべ、おっちゃんずぶ濡れじゃん。ありがとな、合羽貸してくれて」
「気にするな。これが私たちの仕事だ」
「へえ、ガキに合羽貸して風邪引く仕事か」
 冗談めかして言いながら、少年は合羽を脱ぎ、私に差し出す。
「カッコいいじゃん。ありがと」
「どういたしまして。…元気でな」
 死者に向かって『元気で』と言うのもおかしいが、彼に対しては、これが丁度良い別れの言葉に思えた。
「うん。おっちゃんもな」
 霧のように舞い降りる雨滴が、少年と女の子を包み込む。少年の差し出した手に、私が触れるか触れないかの所で、二人の体は音もなく消えていった。

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