さて、第一理科室にやってきた二人。準備室には、理科室内からでないと入ることができない。廊下に面した出入口もあるが、そちらは封鎖されて暗幕が引かれているのだ――と、そのあたりの事情もわかっているらしく、二人はまず理科室の扉を開ける。幸い、今日の五時間目は授業に使われておらず、教室内には誰もいない。
「すげーっ」
 中に入った途端、伸平が目を輝かせる。
「がっこうたんけんでちょっとしかみれなかったんだぜ、ここ! ひれーっ、じっけんしつみてーっ」
 まあ確かに実験をする所だが。
「いすがきょうしつのとちがう~」
「ケー太っ、つくえぜんぶに水どうがついてるぞ!」
 机が大きいだの、カーテンが黒いだの、まずは設備に感動し切りの二人である。そして、きょろきょろと室内を見回した慶太郎が、黒板脇の意味ありげな扉を発見した。
「しんぺいくん、あれがじゅんびしつじゃない?」
 指さす。そうだな、ちゃんと『理科準備室』のプレートが掛かっている――ああ、まだ読めないのか。
「よくやった、ケー太たい員!」
 伸平が慶太郎の背中をパシッと叩いて、扉のもとへ走っていく。しかし、扉に手をかけた伸平は、すぐに頬を膨らませた。
「……あれ、あかねー」
「あかないの?」
「かぎかかってやがる~」
 そういえば、施錠は当たり前か……小学校とはいえ、触れて危険な薬品はやはりあるし。実験器具や備品のたぐいも、やたらに触って怪我をしたり壊されたりするとまずいだろうしな。
 何度か揺すったが開かず、結局放棄。
「がっこうの中あるいてればあえるよなっ」
 もともとそーゆー話だし、と割り切って、伸平は再び周りを見回す。
「……りかしつっておもしれーなー」
 教室後方の大きなロッカーに、ビーカーや広口びんが整然と並んでいる。吊り下げ型の蛍光灯、窓際の手洗い場。廊下側の掲示板には、科学読み物の壁新聞がずらりと貼られている。普通教室とは一味も二味も違う眺めだ。
「なんだろー、コレ」
 伸平が目をつけたのは、窓際に行列を作っているペットボトルだ。それらはどれも、胴の半ばで切断され、上半分を逆さにして下半分に嵌め込んである。上半分の方には、どれも小石や砂が詰め込んである。濾過装置か?
 しかし、興味津々で一つを手に取ろうとする伸平に、慶太郎が声をかける。
「みちくさしてたらじかんがなくなっちゃうよ、しんぺいくん」
 渋っていたわりには、少しは乗り気になってきたようだ。
「あ、そーだな」
 目的を思い出して理科室を出たものの、少々名残惜しそうな伸平である。それでも慶太郎に次の行き先を訊かれると、
『ジゴクにつながるこうしゅうでんわ!』
 小声で宣言した。ちゃんと考えてはいるらしい。

 二階の職員室の前に、この小学校で唯一の公衆電話がある。台の上に鎮座する緑の電話機は、受話器の持ち手や本体の角部分の塗装が剥がれていたり、コードを包む化繊布が擦れて毛羽立っていたりと、なかなかの年季物だ。
『ホントにジゴクにつながりそーだよなっ』
 さすがに小学校、電話機は小学一年生の身長でも楽に届く高さだ。その受話器を手に、伸平がわくわくと言う。
『しずかにはなしてよ、しょくいんしつのせんせいにきこえちゃうよう』
『わーってるって』
 心配する慶太郎をあしらい、伸平は受話器を耳に当てる。しかし、聞こえてくるのは無音ばかり。首をかしげたところへ、慶太郎がおずおずと口を出した。
『……これってさ、なにもおさなくていいのかな?』
『……ジゴクのでんわばんごうしってんのか?』
『しらないけど、やっぱりおさないとつながらないんじゃないかな、っておもった』
『むー……』
 伸平は受話器片手に考え込み、おもむろにプッシュボタンを押し始める。一、二、三、四……わかりやすいな、おい。
『……なんにもきこえねーよ?』
 しばらくの沈黙の後、痺れを切らした伸平が口をとがらせる。
『十円入れないとだめなのかなあ』
『あ、そーか』
 慶太郎の台詞に、伸平は名札の裏から十円玉を取り出した。……いやちょっと待て、その十円は緊急時の連絡用ではないのか?
『え、つかっていいの? それ』
 慶太郎も驚いているが、伸平はおかまいなしだ。だいじょーぶだいじょーぶ、と根拠もなく呟きながら、電話機に十円玉を投入し、再びプッシュボタンを押す。一、二、三、四……九、そして〇。今度は慶太郎も、受話器に耳を寄せる。呼び出し音なしの沈黙が少しあり、そして女性の声が流れ始めた。
《お掛けになった電話番号は、現在使われておりません……》
『……?』
《番号をお確かめの上……》
 ビーッ、と唐突なブザー音が、一瞬女性の声を掻き消す。
『やべっ十円!』
 伸平が慌てて受話器を戻したが、十円玉は戻ってこなかった。
『マジかよ……』
 がっくりと肩を落とす伸平。そこへ、
「どうした、かからないのか?」
 いきなり声をかけられ、二人は飛び上がった。
 いつの間に現れたのか、年配の男性教師が背後に立っていた。一年生の担任は女性教師ばかりだから、上の学年の担任か事務関係の人か……ともかく二人の知らない先生だ。
「貸してごらん、先生がやってみよう。お家にかけたいのかな?」
「だ、だいじょうぶ! ちゃんとかかったよっ」
 七不思議を追いかけていたと知れたら怒られる、という思いが働いたらしい。伸平が慌ててごまかそうとする。
「でも、さっきから困っていなかったかい? この電話が難しかったら、職員室の電話を使ってもいいんだよ?」
「い、いいです、だいじょうぶです!」
 慶太郎が必死で断る。この状況で職員室に踏み込むのは勇気が要るだろうな……。
「本当にいいのかい?」
 頭をぶんぶんと縦に振る二人。それならいいが、と先生は二人の名札に目をとめる。
「君たちは一年生か……学校にはもう慣れたかな? 困ったことがあったらいつでも相談に来るといい。私は教頭の、若辺利夫(わかべとしお)だ。この職員室の奥の方にいるからね」
 先生はえらくにこやかだ。教頭だと、児童とのふれあいが少なくて寂しいのかもしれない。
 若辺教頭が去ったあと、二人は転がるように職員室から離れ、階段のところまで来て大きな溜息をついた。
『あぶねー……』
 へたっている伸平に、慶太郎が引きつった顔を向ける。
『……きょうとうせんせいって、えらい人だよね』
『そーだよ、しらねーよ……』
 伸平、何やら矛盾したことをぼやく。
『わかべのくせにわかくねーじゃん……』
 いや、それは関係ないと思うぞ。
『……でんわ、つながらなかったね』
『……もういい』
 そのまましばらく、二人して座り込んでいる。少し驚きすぎたか。
 

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