屋上へ通じる階段は、第二音楽室のすぐ近くにある。その先の扉の鍵は、都合よく開いていた。
 フェンスにぐるりと囲まれた屋上は、四階のフロアと同じだけの面積を持っている。つまり、思わずはしゃぎたくなるほど広いわけだ。
「しんぺいレンジャー出動! きゅいーんっっ」
 小声から解放された伸平が、両腕を広げて走り出す。こら、目的はどうした?
「しんぺいくん、たいいくやってるよ~」
 グラウンド側のフェンスに寄っていった慶太郎が、相方を呼ぶ。
「こうがくねんの人だね。千景(ちかげ)さんとか智也(ともや)くんとか、いるかなぁ」
「あ、ずりーっ、キックベースやってる!」
 同じ町内の五年生を思い浮かべている慶太郎に対し、伸平は授業内容が羨ましいようだ。
「これならユーレイもどっかにいるよな?」
 叫んでから目的を思い出したらしい。二人して周囲を見回すが、特に人影はなく。
「……いないね」
「どっかにかくれてんだっ」
 この屋上、障害物といえば、さっきお前たちが出てきた屋上出入口しかないが……
「ケー太、そこのうしろ! 早くいけっ」
 伸平の掛け声で、慶太郎がとてとてと走り出す。
 二人で屋上に突き出した出入口を包囲する形だ。その態勢で、それぞれ周りを見回すが、どちら側にも何の影もない。
「……なんだ、いないのかよー」
 ぐるぐると何度か回った後、二人は幽霊探しを断念した。ついでに、と伸平が校舎側のフェンスに張りつきに行く。
「じんたいもけい~」
 しかし、屋上に面しているのは教室の窓がほとんどで、見える廊下は北棟と南棟をつなぐ中央廊下くらいだ。そこには特に怪しげな人影はない。
 残念そうに口をとがらせている伸平に、慶太郎が訊く。
「つぎはどうする?」
「イス! かていかしつ!」
「??」
 飲み込めていない慶太郎、とりあえず伸平の後に続く。
 呪われた椅子、というやつだな。噂は聞いたことがあるが……さて、本当かどうか。

 階段を下りて再び四階、第二音楽室と反対の方向へ曲がって家庭科室へ。ここは裁縫をするための部屋で、準備室にはミシンがたくさん押し込められている。手芸クラブにでも入らない限り、高学年になるまで用のない部屋だ。
 問題の椅子は、家庭科室の隅にひっそりと置かれている。今ではすっかり珍しくなった足踏みミシンが一台、手作りのカバーをかけられて鎮座しているその机の下に、対になって納まっている、古びた木製の丸椅子だ。
「コレにすわるとユーレイのこえがきこえるんだってさ。このミシンってせんそうのときからつかってたやつで、いろんなユーレイがくっついてんだぜ。で、おこらすととりつかれるんだって」
 解説しながらぺしぺしと机を叩く伸平に、慶太郎が慌てる。
「たたかないでよ、おこらせたらこわいんでしょ?」
「へーい」
 やる気のない返事をして、伸平は無造作に椅子を引っ張り出し、すとんと腰を下ろす。慶太郎が飛び上がった。
「な、なにやってんのっ!」
「だってホンモノいっこもねーじゃん。コレもきっとウソだぜ、なんにもきこえねーもん」
 どうやら飽きてきたらしい。足を揺らしながらミシンをいじり始めた伸平に、慶太郎ははらはらしている。
「ねえ、やめようよ……」
「だいじょーぶだよ、なんにも出ねーって」
「でも……」
 と慶太郎が言いかけた瞬間、大きな音を立てて教室の引き戸が開いた。
「こら!」
「っ、出たあぁ」
 慶太郎が情けない声を上げる。
「出た、じゃないでしょう。何してるの、こんな所で?」
 スカート姿の女性教師だった。年齢は二人の親世代よりも少し下、といったところで、教師になってから日が浅い感じだ。口調がきついのは、二人が勝手に室内をいじり回しているものと解釈されたからか……いや、その通りなのだが。
「がっこうたんけんのつづき~」
 伸平が、全く悪びれずに言い訳を開始する。
「あんまりちゃんとみれなくてつまんなかったんだもん」
「探検したかったら先生に言いなさい、そしたら案内してあげるから。学校の中には、危ない物も多いのよ。勝手に何でも触っちゃだめ」
「これも?」
「そうよ、針がついてるでしょう?」
「ユーレイもついてる?」
 相手が若い女性教師だからか、伸平の口調には緊張感がまるでない。
「そんなもの憑いてません。ちょっと先生に触らせてくれる?」
「うん」
 言葉使いがなってないぞ、伸平。
 教師は明け渡された椅子に座り、ミシンに向き直って、机下のペダルに足を乗せた。
「この針、今は上に上がってるのわかるよね? よーく見てて。今から先生が、このペダル踏むからね」
 次の瞬間、針はトントンと二回ほど上下した。目を丸くしている二人に、教師が問う。
「はい質問。今、ここに君たちの指があったらどうなっていたでしょう?」
 彼女が示したのは針の真下。答えたのは慶太郎だ。
「ささる?」
「そう。さっき、そっちの君が間違えてペダル踏んだら、本当に刺さってたかもしれないよね」
 視線を向けられて伸平がしゅんとする。珍しい反応だな……
「便利だけど、使い方を知ってないと危ない道具って、君たちの周りにはいっぱいあるのよ。よくわからないものは、まず勉強したり、誰かに訊いたりしてから触ること。いい?」
「はーい」
「じゃ、家庭科の授業はここまでね。君たち一年生でしょ? まだ四年早いよ」
 軽く笑って見送ってくれるのに押され、二人は家庭科室を出た。伸平が小声で憎まれ口を叩く。
「……四ねんじゃなくて三ねんとはんぶんだもんね~」

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