三月三日(水)
「うわ」電車を降りようとした途端、横殴りの雨が叩きつけてきて、私は思わず首を縮めた。吹き飛ばされそうなほどの暴風雨。目の前のホームは水浸しで、屋根の意味が全くない。
「結ー、早く降りようよー」
「あ、ゴメン!」
後ろから彰代にせっつかれ、一瞬唖然としていた私は慌てて動き出す。二人して駅舎に転がり込み、ほっと一息。
「うひー、冷たっ」
雨に打たれた制服をバタバタとはたく彰代の後ろ、窓の外を電車の明かりが通り過ぎていく。それが行ってしまえば、ここは一気に静かに――まあ今日は雨風の音がかなりうるさいけど――ってスキマ風の音もするぞ? おい。
・・・えーと、とにかく無人駅であるここは、一気に人の気配というものを失ってしまうわけだ。
今は、バタバタやってる私と彰代の二人だけ。いつもなら私たち高校生の帰宅ラッシュの時間なのに、ここまで人がいないのも珍しい。きっとみんな、この天気のせいで帰りが早いんだろう。時期も時期だし。
本日、卒業式の翌日にして春の補習一日目。学年集会やら委員会やら部活やら、お互い色々やっていたら、私たちはすっかり遅帰り組になっていた。それでも社会人の帰宅ラッシュには、電車二本ほど早い。
「すごい雨・・・こんなの車まで走る間にずぶ濡れだよ」
彰代がホームと反対側の戸から外をうかがう。私もそばへ行ってみると、斜め四十度くらいの方向に猛然と降る雨が、外灯に照らされてよく見えた。
「私は着衣水泳覚悟だな・・・」
思わずばかなことを呟いてしまう。
「結ー、こんな中歩くつもり?」
「だって常に強行突破だもん、私。徒歩一分三十秒」
ぐっ、と親指なんか立ててみせる。家まで自転車で二十分の彰代ならともかく、私が親に車で迎えに来てもらえる、なんてことはまずないわけだ。
「そりゃ近いだろうけどさ、さすがに辛くない? うちの車乗ってきなよ。風邪引くよ?」
あ、ありがたいお言葉。
「いいの? じゃあ乗っけてもらおうかなぁ」
「どうぞどうぞ。・・・あ、ちょっとゴメンね」
メールらしい。彰代は特にリアクションもなく携帯を確認し、私に向かって手を広げてみせる。
「迎え遅れるみたい。座って待ってよっか」
「うん」
そこで初めて駅舎内のベンチに目を向けた私は、そこに何か置かれているのに気付いた。
「・・・彰代、何だろ、アレ?」
「え、何?」
平べったい四角で焦げ茶色。年季の入った木製ベンチに同化するように、隅っこの方に置き去りにされている。
吸い寄せられるように近づき、私はそれを取り上げた。大判のリングノート。私たちが授業で使っている大学ノートよりも、二回りくらい大きいだろうか。厚紙の表紙をめくると、どこかの風景が描いてあった。
「・・・スケッチブックー? 全然気付かなかった」
彰代が横からのぞきこむ。
「だね。誰のだろ・・・」
ベンチに腰を下ろし、表紙の裏と裏表紙、さらにその裏も確認したけれど、名前も何も書かれていない。絵は三ページまで描いてあった。一ページ目は、畑があってあぜ道があって民家があって背景に山、っていう、いかにもな山里。二ページ目には野草っぽい花のアップ。三ページ目には何かの建物・・・だけどこれは描いている途中らしく、大雑把に形が取ってあるだけだ。
「このへんの景色じゃない・・・よねぇ?」
一枚目を眺めながら、彰代が言う。確かに、民家はすごく古そうで、しかもまばらで、こんな地域はこの辺りでは覚えがない。何より舗装道路ゼロっぽいのがありえないと思う。
「でもキレイだね。もらっていきたいくらい♪」
私は冗談で言う。鉛筆だけの白黒スケッチ――なのに、眺めていると色つきの風景が浮かび上がってくる感じがする。そんな絵なのだ。
「あ、ずるーい。私もそれ思ってたのに・・・おっとメールが」
携帯の画面を見て、彰代は軽くピースサインをする。
「迎え到着。・・・どうしようね、ソレ」
「置いてくしかないか? こんな雨の中、持って出ても濡れちゃうし」
「そだね」
私たちはスケッチブックをベンチに戻すと、彰代の家の車へダッシュした。