三月十一日(木)- 2

 女の子は、描けたら声をかけますね、と言い置いて駅舎に入っていった。どうもそこが落ち着く場所のようだ。
 そして私たちは、駅舎の外のベンチに腰を下ろしていた。今日は気温も高めで、外にいてもそれほど寒くない。雪も、駐輪場の裏や道路脇には残っているけれど、ホームや道路に積もっていた分はすっかり溶けてしまった。
「なんか・・・私たちがどれくらい力になれたのか、っていまいち分かんないけどさ。少なくともカメラは効果あったみたいだし、これで良かったよね」
「うん。あとはあの子が、ちゃんと絵を仕上げられることを祈るのみっ」
「何に祈ってんの、それ」
 柏手を打ってあらぬ方を拝む私に、彰代が呆れ声で突っ込む。
「あの子の彼氏」
「よくわかんないなー」
「いやいや、わかるって。絵が仕上がるってことは、約束を果たしたってことでしょ? こーゆー約束は、相手が認めてくれないと果たしたことにならないんだから、ちゃんと受け入れてあげてくださいってお願いしてるの」
「屁理屈くさいなぁ」
「要するに、二人がうまくいきますように、ってこと」
「あ、随分わかりやすくなった」
 そんなことを取りとめもなく話しながら、たまに人が来ると、駅舎へ入らないようさりげなく見張ってみたりする。今は絶対に邪魔したくない、と私も彰代も思っていたから。

 そうして小一時間も経った頃、
「――出来ました」
 いきなり背後で声がした。
「もう大丈夫です――」
「え?」
 振り返った時には誰もいない。
 私と彰代は顔を見合わせ、すぐに駅舎の中を見に行った。そこにも誰もいなかった。
「・・・行っちゃったのかな?」
 彰代が拍子抜けしたように言う横で、駅舎内に目を走らせた私は、ベンチの上にあるものを発見する。四角くて、薄っぺらくて、表面は光をはじいていて。
「彰代・・・あれ」
「え、何?」
 ちょっと既視感を覚えながら、私はそれに近付き、手に取る。さっき撮ったポラロイド写真――しかし、そこに写っているものを見て、私は思わず声を上げた。
「あーっ、なんか変わってる!」
「なんかって何」
 彰代も写真をのぞきこみ、目を丸くする。
 中央に立つセーラー服姿の女の子は、あのスケッチブックを抱えていた。そして、詰め襟の学生服に学生帽をかぶり、肩掛けカバンを下げた青年が、その隣に寄り添って立っている。女の子より頭二つ分も高い長身を少しかがめ、ちょっと骨ばった顔に優しい微笑みを浮かべて。この人が、彼女の描きたかった人なのだろうか。
 背景にあるのは、いかにも昔風の蒸気機関車だ。着いたばかりらしく、降りてきた乗客や出迎えと思われる人々が、二人の周りにたくさん写っている。国民服みたいなのを着た男の人や、着物姿の子供たち、もんぺをはいているおばさん。端っこに写っている駅員さんは、軍人ぽい雰囲気を醸し出している。大正・・・昭和? いつ頃だろう、和洋が入り混じった時代の風景。
「すごーい。本物の心霊写真」
 彰代が呟いた。
 そう、合成とかならともかく、カラーのポラロイドでは明らかにありえない写真である。写っている女の子は、確かにさっきまで話していたあの子だし、機関車の窓の向こうに見える山は、この駅のホームから見える山とそっくり同じなのだ。
 写真の裏を返すと、鉛筆で『有難うございました』と書かれていた。律儀さに思わず笑ってしまう。
「うまくいったみたいだね」
「帰ってきてくれた、ってこういうことだったのかぁ・・・」
 彰代がなるほどと頷く。
「お互い、相手が見えずにすれ違っちゃってたんだね・・・」
 彼氏の方も、約束を果たそうとして戻ってきていたのに。
 感慨に浸っている私に、それにしても、と彰代が言う。
「結、その心霊カメラすごいよ。あの二人、きっと何十年も、相手に気付かないままここにいたんじゃん? それを一発で同じ写真におさめちゃうなんてさ」
「いやー、心霊カメラが縁結びカメラになっちゃいました! 今度は写されたらタマシイ抜かれたりして~」
「妙なこと言わないの!」
 彰代はブイサインする私を肘でこづいてくる。
 冗談冗談、と押し返して、私は腕時計に目をやった。いつのまにか十二時近くになっている。
 ・・・ということは。
「彰代、やばい! そろそろ受験生のお帰り電車の時間だ」
「あ、鉢合わせしたくない」
「同感。とりあえずどっか移動しよう」
「写真忘れないでよ、結」
「とーぜん!」
 受験生には悪いけど、今の気分を壊されたくないんだな。
 二人して、急いで駅舎脇の階段を下りる。自転車を取りにいく彰代に、私も付き合う。
「ねえ彰代、今からウチ来ない? あの子の素性について、いろいろ邪推してみようよ、これ眺めながら」
 写真をひらひらさせると、彰代は真面目ぶった口調を作って言う。
「邪推、ねえ。もっと人聞きの良い言い方はないのかい、結くん?」
「そーですねえ・・・じゃあ、あの子に思いを馳せてみよう、ってことで」
「合格」
 どちらからともなく笑いがこみ上げてきて、私たちは笑いながら歩き出した。
 我ながらすっごく平和。あの二人も、今はこんなあったかい気持ちでいてくれたらいいと思う。
 ふと見上げた空は、ここ数日の雪が信じられないほど、気持ちよく澄んでいた。本格的な春は、もうすぐそこだ。

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