三月十日(水)
今日は、中三の子たちにとっては、いよいよ高校受験本番一日目。私たち高校生にとっては、嬉しい平日二連休だ。でも、私はあの女の子のことが気になって、どうにも煮え切らない気分だった。宿題をやろうとしてもマンガを読んでみても、彼女の台詞が頭の隅に引っかかって落ち着かない。
怖い。描けなかったら。あの人のことを・・・
「好きな人・・・だったのかなあ」
あの、〇.一枚の人物の輪郭。彼女が、忘れてしまっているのではないかと恐れて描けずにいる、人物。家族とか幼なじみとか、他の可能性ももちろんあるけど、恋人っていうのが一番しっくりするな、と勝手に想像する。片想いか両想いかはともかく。
あのページを描くことができれば、女の子の気持ちは満たされるんだろう、と思う。でも問題は、
「どーすればいいのかなあ・・・」
女の子がひとりで落ち込んでいても、多分解決できない気がした。今まで悩んで悩んで、でも結局手を動かす勇気が出ないままなのだから。かといって、私たちができることも・・・女の子が言うとおり、ない。
・・・本当に?
「うーん、なんかないかなあ・・・」
いかんいかん、私まで煮詰まってきたぞ。
昼食後、頭を冷やすべく、私はとりあえず外へ出た。自然、足が駅へ向かう。来てみたものの、駅舎をのぞき込む勇気が出ず、駅舎の脇を抜けてホームへ上がると、ベンチに彰代が座っていた。こちらに気づかない風だったので、思わず忍び寄り、
「彰代ちゃん、君もか」
「わ、びっくりした」
肩を叩いたら軽くにらまれた。
「もー、真剣に考え込んでたのに、あんたは・・・」
「いやいや、私も、だよ」
「・・・そだね。結も、だよね」
彰代も女の子を気にしていたらしい。勉強しに図書館へ行くつもりだったけど、気が向かずにこっちへ来ちゃった、と苦笑していた。
彰代の考えも、私とほとんど変わらない。
「彼氏って決めつけるのも安直だけどね。仮に彼氏、でいいと思う、私も。んでもって、彼氏の絵を描くって約束してるんだと思うんだ、本人と。だけど、描く前に彼氏は何かの理由で遠くに行っちゃって、残されたあの子は絵を完成できずに死んでしまった・・・のかなぁ。って、想像ばっかりだけどさ」
「他のページの風景とか建物とかって、練習だったんじゃないかなって気がする。自分の記憶を確かめるための。でも、いざ彼氏の絵ってなると、描くことの重みが全然違うんだろうね・・・」
描き上げたものと、心の中に持っているイメージが異なっていたら。私みたいに絵心のない人間は、描くたびに違って当然って感じだけど、上手い人ならそれに苛立ったりショックを受けたりすることもあるかもしれない。しかもあの子の場合、絵のために、描くためだけに、あの場所に縛られているのだ。上手くいかなかったら、あの子はきっと壊れてしまう――そんなのかわいそうだし、悲しすぎる。
しかし、失敗なんてあり得るのかしら、という気もするのだ。あの子、あんなに上手に描くんだから、手さえ動けば、きっと人柄までにじみ出るようないい絵になると思うんだけどなぁ。
きっかけが、作れないだろうか。
うーん、と二人して考え込む。そして、私はふと思いついた。
「あのさ、彼氏の姿を見れたら、ちょっとでも解決すると思う?」
「・・・どうやるつもり、そんなの? 私たち、あの子の彼氏なんて知らないじゃん」
「手段はともかく、そういう方法ってどうかなー、と思って。彼氏に会えれば絵は描けるよね?」
いつだったか写真部で、心霊写真の作り方の話で盛り上がったことがある。作りたくなるのも道理、世の中に出回っている心霊写真って、ほとんどは合成や小細工、現像ミスや不良フィルムによるニセモノなのだ。私たちの興味はもちろん、合成や小細工の方だった。
でも、中にはほんの一握りだけ、いわゆるホンモノが混じっているらしい。本当かウソか、M氏がホンモノを撮ったことがあると言い出して、みんなで大ウケしたけれど。
けれど、もし本当にホンモノを撮ることができるものなら、写真に撮るという形で、女の子を彼氏に会わせてあげられないだろうか――?
私はそんなことを考え始めていた。
「うーん・・・でもあの子って、彼氏が"帰ってきた時"に、絵を見せたいんじゃないのかなぁ? 駅にいるってことはさ。完成する前に会わせちゃったら、それを踏みにじることにならないかな」
「そんなのどうとでも言い訳すればいいよ、あなたのことで胸がいっぱいになって手が動かなかったの~、とか何とか」
「結さん、キミがやっても受け狙いにしか見えないわ」
胸の前で手を組んで瞳ウルウル、なんてやってみせたら、彰代に背中をどつかれた。
「・・・まあ言い訳は冗談だとしても、」
「あれ、本気じゃなかったの?」
「冗談です! ・・・えーと、解決策・・・って言っても、あとは気分転換に誘ってあげるくらいしか思いつかないよ。それだって乗ってくれるかどうかは分かんないし」
「何に誘えば気が晴れるかも、なんか掴めないんだよね。うちの部員だったら、カラオケで思い切り歌って発散~、って分かりやすい子が多いけど」
「さすが合唱部」
彰代も歌、上手いもんなー。
「でさ、彼氏に会えないかって話なんだけど」
「・・・本気、それ?」
「わりと本気。実は面白いカメラがありまして」
M氏がホンモノの心霊写真を撮ったというカメラ。年代物のポラロイドカメラなんだけど、M氏が使うといつも白い影が写る、というのだ。
「・・・それって古いからじゃなくて?」
「そうでもないらしいんだ、これが。修理しても直らなかったらしいし。それで、気味悪いし使えないしで嫌になったM氏は、ある日写真部員に、『このカメラ欲しい奴はいないか』と持ちかけました。で、手を上げたのは私だけでした」
「え、もらったの!?」
親指を立ててみせる私に、彰代オーバーリアクション。
「もらえちゃったのよ、これが。心霊カメラだったら、彼氏がその辺にいたら写らないかなーと」
彰代は呆れ顔になっている。
「結って密かにそういうの好きだよねー。怖くないの?」
「いや、むしろ興味津々ですよ。でも、私が使うと至って普通なんだよね、あのカメラ。M氏と相性悪かっただけかも」
「それってM氏が撮らないと写らないんじゃない?」
「そうかもしれないけど、試してみる価値はあるんじゃないかと。私が撮ったのが、たまたまハズレの場所ばっかりだったのかもしれないしさ。もし写らなくても、気分転換くらいにはなると思うし、ポラだから撮ってすぐに渡せるのもいいと思わない?」
「まあ、ねえ。他に手がかりもないし・・・」
彰代は半信半疑だったけれど、ともかく明日カメラを持ってきてみよう、ということで話がまとまった。
「今さらだけどさ、あの子って幽霊的な何かで合ってるよね?」
「・・・結さーん、真顔でそういうこと言われたら恥ずかしいんですけどー」
帰り道、ふと呟いたら、彰代が突っ込みをくれた。
「だっていかにも普通に生きてるみたいで錯覚しちゃうんだもん。・・・幽霊だよね?」
「多分・・・そうなんだろうねぇ。影が薄かったし」
「そーかな? 私すごい気圧されてたんだけど」
上品でありながら芯の通った存在感もそうだし、思いつめた気持ちが迫ってくる感じといい、私からはどう振っても出ないオーラだと思う。一見おとなしそうな子なんだけど。
すると彰代はぱたぱたと手を振る。
「いや、存在感がないって意味じゃなくてさ。言葉通り影が薄くなかった? ぼやけてたっていうか」
「えー、気付かなかった。さすが彰代ちゃん観察眼が鋭いっ! ――てか、幽霊なら影はないんでは?」
「それを言うなら足もないはずじゃん? 幽霊にもいろいろあるんじゃないのー」
「・・・そーなのか」
幽霊の世界は奥が深いらしい。
今まで女の子に会えたのは、午前中からお昼の時間帯だけだ。だから、明日は午前中に来てみよう、ということで待ち合わせ時間を決め、私と彰代は手を振って別れた。