三月五日(金)

 次の日も天気は雪だった。しばらく降って少しやんでまた降って、という信用ならない空模様で。
「あ、今日は起きれたんだ。おはよー」
 電車より先に駅に着くと、彰代がそんな台詞で迎えてくれた。
「えっへん、やればできるのさっ。今日も寒いねぇ」
「一月下旬並みらしいよー。土日はちょっとマシになるみたいだけど」
 話しているとすぐに電車がやってくる。うーん、やっぱり余裕の足りない生活みたい・・・。
「そうだ、あのスケッチブックまだあったよ。昨日の帰りに見たんだけどさ」
 電車に乗りながら私が言うと、彰代は驚いた顔をした。
「え、ホント?」
「うん、しかも絵が増えてた。最後の未完成のやつが茅葺きの家になってて、もう一枚でっかい木も描いてあるの。持ち主、描いてまた置いてったみたい」
「しっかり無断で眺めたんだね、結ってば」
「だって気になったんだもん。置いてあるんなら見られる覚悟もしてるよ、きっと」
「そんな都合のいい解釈したら悪いでしょ。・・・でも、あるんなら私も見たいなー」
「こらこら、言ってることが違うぞ彰代ちゃん」
「だってあんなにきれいなんだもん。結ずるーい」
 彰代は口をとがらせる。
「さっきもういっぺん確認すればよかった。時間あったのにー」
「残念でした」
 あいにく、駅はすでに線路の彼方だ。
「それにしても寒いよね。マジメに暖房入れてるのかな、この電車」
 私が言うと、彰代は首をかしげる。
「え、けっこう効いてると思うけど。そんなに寒い?」
「寒いっていうか・・・冷気が首筋狙って流れてくる感じがする」
「何ソレ。風邪引いたんじゃない、結? 大丈夫ー?」
「んー、多分気温のせいだよ。この電車ボロいしさ」

 ・・・と、朝はそんな風に思っていたけど、実は本当に風邪の寒けだったらしい。三限目頃から熱で頭がぼんやりしはじめ、結局午後の授業は受けずに早退することになった。どうせ傘なしで雪の中走りましたよー。やれやれ・・・。
 平日昼間のスカスカな電車を降りると、ホームの線路側四分の一ほどが白くなっている。一昨日ほどではないけど風が吹いていた。しんしんと降る雪は、まだしばらく積もり続けそうだ。
 風か雪か、どちらかがましになるまで待とうと思い、入っていった駅舎には先客がいた。セーラー服を着た女の子――その子が持っているものを見て、私は思わず声を上げてしまった。
「あ・・・それ」
 女の子は驚いたように顔を上げ、遠慮がちに微笑んで私に会釈して、また手元に目を戻す。そこには私が早くも見慣れてしまったスケッチブック。そして彼女の右手には、黒鉛の塊らしき平べったいものが、布にくるまれて握られていて、スケッチブックにゆっくりと線を描き足していく。
「・・・じゃ、邪魔してごめんね」
 一人で気恥ずかしくなり、口の中でモゴモゴと謝りながら、私は女の子から離れたところに腰を下ろした。
 スケッチブックの持ち主――まさか会えることがあるとは思っていなかった。それもこんな、同い年か少し年下くらいの子だなんて。
 内心で緊張しながらも、つい女の子を観察してしまう。ちょっとお子様顔でかわいい。目が大きくて、色白で、華奢で・・・まるで日本人形みたいな。セーラー襟の三本線に少しかかるくらいの長さで、まっすぐな黒髪がきれいに揃えられている。
 このセーラー服がまた、どこにでもあるようなすっごく普通のやつなんだなぁ・・・。同じようなセーラーの学校が、この線路沿いだけでも、中・高合わせて四つはある。リボンの色と校章で見分けがつくんだけど、女の子はどちらもつけていなくて、年齢の見当がつけづらい。中学生のような感じはするけれど。
 ついでに防寒具のたぐいも何も身につけてない。パーカーにマフラーぐるぐる巻きの私でもけっこう寒いのに、この子は大丈夫なんだろうか。
 話しかけてみようかとも思ったけど、真剣に描いているのをまた邪魔するのは気が引ける。ためらっているうちにこっちが冷えてきたし、いいタイミングで雪が小降りになったので、結局何も言わずに駅舎を出てきてしまった。・・・スケッチブックを見てしまったことくらい、言った方がよかったかな?

 夕方ごろ、布団にもぐってうとうとしていた所へ彰代からメールが来た。
「あ・・・見れたんだ、スケッチブック・・・」
 熱ボケの頭で読み取ったところによると、スケッチブックの絵は、木が完成した上で更に三.一枚増えていたらしい。
 大木の背景には、蔓草のからんだ細い木や、何かの実がなっている茂みなどが描かれていた。子供が好んで探検しそうな雑木林って感じで、森の中には見えなかったという。
 新しく増えた一枚目は川。幅が狭くて、あちこち岩が飛び出ていて、岸には下草が迫っている渓流だ。そこで子供が三人遊んでいる。いずれも半袖短パンの男の子――初めて人間が出てきた、と彰代は驚いていた。
 二枚目は田んぼ。稲刈りが終わっていて、束ねた稲が、縦長の三角テントみたいにあちこちに立っている。三枚目は、大きな時計台だ。木造の、これまた古めかしい時計台が、見上げるアングルでいっぱいに描かれていたそうだ。
 そして最後の一枚は、人の形がひとつ、軽く輪郭を取ってあるだけで終わっていた。
「それで〇.一枚ね・・・」
 男女判定さえできない、まるっきりの輪郭だけらしい。彰代の報告はそこまでだった。
 今日だけで三枚半。あの女の子は、それをずっと駅で描いてたんだろうか? 丸一日詰めてでもいないと不可能な気がするんだけど・・・というか、あれだけのレベルの絵を、一日で三枚も描くこと自体信じられない。この寒いのに、好んであの駅舎にいることも信じられないし。
 一体どういう子なんだろ? この時期のあの時間に駅にいられて、しかもセーラー服。でもってあんな昔っぽい絵を――おそらく想像で――描いている。高三っていっても微妙だし・・・中学校の卒業式っていつだっけ。
 そんなことをつらつらと打って送信したら、『それって誰の話?』と聞き返された。そういえば、彰代にあの子のこと、言ってなかったような・・・。

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