三月十一日(木)

 翌日、高校入試休みの二日目、予定通り午前中。駅の駐輪場で彰代と待ち合わせ、そっと駅舎をのぞきに行くと、果たして女の子はそこに座っていた。閉じたスケッチブックを膝に載せ、じっと宙を見つめている。気の毒なほど表情の抜け落ちた顔をしていた。
「こんにちはー」
 駅舎に入って声をかける。女の子の視線だけがこちらを向いた。
「本当に、いらしたんですね」
 そういう言い方をするのは、昨日の会話が聞こえていたのか。そういえば、彰代がスケッチブックを見てたことも、この子は言わないのに知っていた。
「うん、来ちゃった。今日は、写真を撮ってあげようと思って、カメラ持って来たんだ。ちょっと気分を変えるのも大事だと思うよ」
 私が笑いかけると、女の子は浮かない顔のままで言う。
「お気づかいは有難いですが、そんな高価なもの、申し訳ないですから・・・」
「高価じゃないって、別に」
 もらいものだし・・・っと、そうか、時代が違うんだった。・・・本当にいつの時代なんだろ、この子は?
「大丈夫だよ、今のカメラって安いんだよ。子供でも使えるものもいっぱいあるし、現像も早いし。すごくお手軽なんだから」
「お手軽・・・ですか?」
 想像がつかないのか、彼女の顔に困惑が浮かぶ。・・・と思ったら、彰代から別の指摘が来た。
「結―、安っぽくて適当って感じの言い方になってるよ? 真剣な話なのにさ」
「ありゃ、そうだった? ゴメン!」
 だめだ私ってばー。
「大丈夫っ、特別な写真を大切に取っとくのは今も変わらないから! それに綺麗な絵、たくさん見せてもらったから、お返しにと思ってさ」
 私は鞄を探り、キルティングの袋を取り出した。中に入っているのは、例のポラロイドカメラ。
「おお。ごつい」
 彰代が、私の出したものを見て目を丸くする。
「これならもしかしたら、あなたの彼氏も写りやすいかなーと思って」
「・・・彼氏じゃないです」
 私が笑いかけると、彼女は恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「じゃ、思い人?」
「・・・・・・」
「結~、ほどほどにしなよ~」
 再び彰代に軽く突っ込まれ、私はしまった、と頬を掻いた。詮索するのが目的じゃないって。
「ま、まあ、とりあえず撮ってみよ? 外出た方がいいかな。どこで撮りたい?」
 女の子が選んだのは、すぐ外のホームだった。線路を背に、かしこまって立つ。
「そこでいいの?」
「はい」
 女の子は緊張して固くなってしまっていたが、彰代と二人がかりでいろいろと声をかけ、何とか笑顔を引き出すことに成功。私はすかさずシャッターを切った。
「よっしゃ、OK! いい感じ」
 吐き出された写真を女の子に手渡す。
「あの、何も写ってませんけど・・・」
「しばらく待ってると絵が出てくるんだよ」
「そうなんですか?」
 三人が見つめる前で、ポラロイドの写真がだんだん浮かび上がってくる。しかし――
「わー、心霊写真・・・」
 彰代が小声で呟いた。写真の背景がかなりの範囲、白くぼやけていたのだ。まるで、女の子のうしろに煙の電車でも停まっているみたいに。
 ・・・どーしよう。こんなフザけた写真になる予定じゃなかったんだけど。
 おそるおそる女の子の顔をのぞき見て、私ははっとした。
 彼女の目に、大粒の涙が浮かんでいた。
「帰ってきて・・・くれた・・・」
 写真を握りしめる手に、ぽた、ぽた、と涙が落ちる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 私たちは、黙ったまま顔を見合わせた。こっちの目には、適当に現像すればすぐできるような、ありふれた心霊写真にしか見えないのに、彼女の目には違うものが見えているらしい。それ以外に考えられないこの反応――かける言葉なんて見つからなかった。
 そのまましばらく沈黙が流れてから、
「昨日、お二人が考えていたこと・・・足りない所があるんです」
 女の子がぽつりと言った。
「二人とも約束してたんです。私は、絵を描いてあげますって・・・あの人は、必ず帰ってきてくれるって。でもあの人は、行った先で事故に遭って、亡くなってしまったんです」
 写真に目を落としたまま、女の子が初めて過去を語る。行った先、というのは、上京というやつなのか――それとも戦場か何かだったんだろうか? やはり全てを話してくれているわけではないけれど。
 私も彰代も、神妙に耳を傾けた。
「私だけでも約束を果たしたかったけど、どうしても描けなかったんです。時間がたつほど描けなくなるって、分かっているんですけど、怖くて手が動かないんです。私の心に残っているあの人の印象と違うものを、この手が描いてしまうのが怖くて」
 ・・・私たちが考えていた通り。描くのが怖いって、そういうこと。
「そのまま一年半も経って、私に最初の縁談が持ち込まれたとき、ああ、もう無理だと思いました。私、ためらいすぎたんです・・・」
 声は震えているけれど、しゃくりあげて話せなくなることはないのが、考えてみれば微妙な違和感を感じる所だ。でもそのせいで、いつの間にか引き込まれている。話が心にまっすぐ入ってくる。
「逃げるような気持ちでこの駅に来て、ぼんやり線路を眺めながら、いろいろなことを考えました。もう描けないってことは、自分でも分かってました・・・でも、ここであの人を見送ったことを思い出したら、やっぱり他の方と結ばれるなんて考えられなくて。どうしたらいいか分からなくなっていた所へ、ちょうど汽車が入ってきて・・・」
 女の子はぎゅっと目を閉じて、それでも涙は止まらない。
「馬鹿だと思いますか? 天の国でいつまでも、あなたの帰りを待っていよう、って思ったなんて・・・」
 ・・・今、誰を見てた? この子。
「ありがとうございます。やっと、約束を果たせそうな気がします」
 目を開けた女の子は私たちを振り返り――泣き濡れた顔で、とても幸せそうに笑った。

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